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☆- ハートランド あっぷるDiary -☆

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[ 今朝の新聞記事 ]
今朝の朝刊、徳島新聞の紙面に昨日の城北高校「ハートフル城北」からHEARTLANDへの贈呈式が大きく誌面に掲載されていました。その記事の丁度真上、県内・知的障害者授産施設がまた認可され建設されるという報道が記載されていました。知的障害、精神障害に関わらずまだまだ地域の受け皿としての「施設」は充足しているとは言い難い状況ではあるのですが、俗に言う「箱もの福祉」という言葉も何処かで語られていきます。その記事によると建設資金が数億円との事、当然県市の補助があってのものです。その金額があれば一体何カ所の作業所が運営出来るであろうか…、そんな馬鹿げた計算を電卓片手に行ってしまうのです。箱ものの施設自体がどうだという事ではなくても、実際の地域の中での経済効率や施設内容の問題などなど、そのお金のかけ具合と見合うべき内容や意義が比例しているとは思えないものも多数含まれています。何十億もかけて建てた授産施設のメンバー工賃よりも、貧しい地域作業所のメンバー工賃が「上」という事実も多々あります。実際の利用人数にしても立派な建物を建てても、そこを利用する人が殆どいない…といった話もごろごろ転がっています。
商売や社会の常であれば考えられない事が福祉領域では何の疑問もなく成立していきます。「福祉」という言葉の行き先はどんな風になっていくのか、ため息がどうしても途絶える事のない朝でもありました。
2002/03/30(Sat) 晴れ


[ 城北高校 ハートフル城北 ]
HEART LAND近くの城北高校、吉田先生とその教え子達が活動を行っている「ハートフル城北」の方々数名が「あっぷる」に訪れてくれました。この時期、毎年恒例となっている「制服バザー」の収益金をHEART LANDに贈呈に来て下さいました。
卒業シーズン、卒業していく学生の不要となる制服を販売するそのバザー、活動は多岐に渡りハンセン病施設への訪問など多彩な取組みを進められています。指導する吉田先生「障害者の問題も社会の中の問題も様々、けれど結局は最後には同じ問題が見えますね…」そうさり気なく話される先生の言葉は大きな響きを残していきます。単純な「困っている人を助けよう」的な発想ではなく、社会問題としての切り口を学生のみずみずしい感受性に重ね合わせての活動となっています。
徳島新聞の斎藤記者も臨席しての贈呈式、頂いた寄付金はみんなで大切に使わせてもらえればと思います。
2002/03/29(Fri) 晴れ


[ 施設見学 ]
最近県外あちこちからの問い合わせが多く、HEARTLANDや「あっぷる」の見学を希望される連絡が続いています。インターネットという今風の情報ツールの影響も多分にあると思うのですが、遠いところ近いところも含んで色々な形での見学希望が寄せられてきます。
何も見せるものは無いし、特に施設面の整備が整っている訳でもなく、取り組み自体が斬新でも何でもなく…少し困り気味にはなってしまいます。弁当をやっている作業所はいくらでもあるはずだし、金のある場所には金ぴかの整備も用意されているはずだし、なかなか不思議な想いがします。昔PSWの駆け出しの頃、やはり引きつけられる部分はその「人」なりみたいな部分への共感や憧れが第一であったように思うのです。何をしているかではなくて、誰がどんな想いで行っている日常なのか…その辺りへの共感や共鳴があれば一生懸命語ることもできるはずかなとふと思ったりもするのです。そんな想いが何処かで交差しあうような「見学」の話ならありがたいのになと少し苦笑いになってしまうこの頃の風景ではあります。
2002/03/28(Thr) 晴れ


[ 「あっぷる」送別会 ]
一人の男性メンバーが7年越しに自らの力で退院を獲得しました。「あっぷる」に通所する事4年、まだHEART LANDが今の場所に活動を見せる以前からこの場所に思いを寄せる彼の姿が常にありました。
紆余曲折の果て、ようやく家族の同意を取り付けた彼は南の街に戻っていきます。今日は午後から「あっぷる」で彼の送別会を設けました。
希望であった焼き肉の食べ放題、全員参加して、彼の明日に声援を贈る時間を一緒に過ごせました。
去る人があれば来る人もいて、彼と入れ替わりに数名の人がまたこの場所からの「再生」を願いつつ集い来ています。
今年はいよいよ法人化に向けての年、制度が整い新規の事業が開始されたとしても、彼らの居場所の一つとして柔軟に対応できるこの場所の良さを守りゆければと思っています。
2002/03/27(Wed) 曇り


[ 桜3月 ]
毎日新聞記者・井上君の送別会がありました。HEARTLAND設立の頃からのお付き合いはかれこれ4年、彼が徳島の街で生活を過ごした時間と重なり合う形となりました。ことあるたびにHEARTLANDに訪れ、取材の域を超えての関わりを持ってくれる日々が続いていました。桜三月、故郷の神戸に戻りゆく彼の今後に幸あれと願います。送別会は多数の人が集い彼の人柄が現れた素敵な時間でした。

ボランティアとしてHEARTLANDに関わってくれていた徳島文理大学大学院の小林さん、臨床心理として富山県の病院への就職が決まりました。今日その報告も兼ねて訪ねてくれた彼の姿がありました。
「この場所を眺めさせてもらった事がとても大きな意義ある事でした…」そう言ってカメラを手にした彼の姿が印象的でした。
良い場所で良い人生をと願います。
2002/03/25(Mon) 晴れ


[ パンフレットの文字 ]
HEARTLANDの法人化に向けてのパンフレットの製作を進めています。実際の文字を選び取るのに「パソコン」に座り思案するのですが、なかなか適当な言葉としての文章が表現しにくく難しい印象があります。精神障害者という事、心の病ということ、色々な表現に方法がありますが、わかり易く短い言葉で「伝えていく」事の難しさを改めて感じてしまいます。色々な社会的な問題への対処も含めて、彼らの状況をどんな風に書き記していくのかは大きな命題でもある様子です。

今夜は毎日新聞記者井上君の送別会、仲間達と共に神戸に旅立つ彼のための送別会を設けました。HEARTLAND設立の頃からのお付き合い、仕事としての取材を超えてHEARTLANDと一緒に歩いた互いの時間は随分と重ねられていました。親しかった人との別れも含んで春が進みます。
2002/03/23(Sat) 曇り


[ 新しい人 ]
今朝「あっぷる」への通所を希望する一人の女性の姿がありました。精神科に通院歴があるも、知的障害のB2判定の手帳をお持ちの人でした。「自宅でいても時間が退屈なので…、仕事も今のご時世なかなかありそうもないので…」そんな言葉を話しつつ、数年前に製作したHEARTLAND設立当時のビラを手にしての面接となりました。
主として精神の障害を抱えた人たちが集う「あっぷる」、知的障害の方が集うのは今回が初めてとなります。地域の中の作業所、3障害合同という方向は既に承知の事であったとしても、実際の日々の中での事となると「あっぷる」でははじめての事となります。
「月曜日に一度体験してみます」そんな言葉を残しながら彼女は帰っていきました。
2002/03/22(Fri) 雨


[ 健康増進課に出向いて ]
今朝は県の健康増進課に出向いて担当の方と一緒に法人化に関しての協議を行いました。平成15年度の事業、その為にこれから必要な書類の整備が夏までの大きな課題となっていくHEARTLANDになります。小規模法人に関しては色々な角度から色々な見解が述べられています。実際の日々の中で「どう進むのか」という大きな命題、集い来る精神に障害を抱えた彼らの状況、グループホームの設置運営に向けての方位、色々な事柄と今までのHEARTLANDを検証しながらの今回の法人化という選択になっていきます。認可を受ける事で全てが賄えるはずではなく、そういった単純な「期待」ではなく、いかに今のHEARTLANDの活動を責任在るものとして継続させていくのか…
山積みされていく書類の中、彼らと一緒に歩んでいく今後をイメージしていければと願います。
2002/03/20(Wed) 晴れ


[ かわら版 3月号より ]
何か嫌なことがあって落ち込むことがある。とても嬉しいことがあって、飛び上がりたいことだってある。世の中結構捨てたもんじゃない。だから日々暮らしていけるのかもしれない。色々なものが目覚める春、きっといいことがあるだろう。 「あっぷる」スタッフ 菖蒲登紀 

春、卒業そして入学シーズン。時間を共にした仲間との別れゆく寂しさ、そして新しい出会いへの期待と不安。複雑な気持ちが入り交じる季節ですね。作業所「あっぷる」にも卒業していく人がいます。長年の入院生活にやっとピリオドをうち退院できる事になったのです。先の見えない不安と気の遠くなるような戦い。何度も仲間の旅立ちを見送り、時には焦り、時には落ち込み苦しんできた彼。トンネルを抜けた先に小さな光りを信じてがんばった彼への、神様からのごほうびです。いえ、こつこつとがんばった彼が自分の力で勝ち取ったと言った方がふさわしいでしょう。本当に良かった。本当に嬉しい出来事です。

 家が近ければ作業所へそのまま通えるのですが、家が遠いので週1回立ち寄るくらいになるそうです。何かにつけ責任を負ってがんばってくれた彼がいなくなるのは淋しいし、お弁当作りには痛手です。しかし、彼にとっての幸せな旅立ちは、心よく見送らなければなりません。なんだか複雑な気持ちです。
 
 人の出入りもあり、ご飯の炊き具合、盛りつけ方など、不慣れで統一しにくい所もあり、皆さまにご迷惑をおかけしていると思いますが、新しいメンバーや残されたメンバー達と共に一生懸命がんばりますので、ご理解ご協力のほど、よろしくお願いします。人を見て焦らず、それぞれのペースでぼちぼちがんばりたいと思います。

               「あっぷる」スタッフ 大久保千恵

新しく「あっぷる」に辿り着いた人、新しくこの場所を去っていく人…
みんな良い場所にいればと願うばかりの春です。
 
2002/03/19(Tue) 晴れ


[ 写真撮影 ]
今日は朝から「あっぷる」に一人のカメラマンの姿がありました。法人化を進める活動の中、HEARTLANDの日常を書き記した「本」を製作しょうという話が生まれつつあります。イラストとデザインはいつものきんこさん、そしてHEARTLANDの活動や「あっぷる」の様子を書いた文章、メンバーをはじめHEARTLANDを支えてくださっている人やお弁当を毎日買って下さる方々の言葉、そんなものを並べた「本」。その中に掲載される写真の撮影が朝から行われました。
プロのカメラマン、朝みんなの出勤と同じ時間から今日一日の「あっぷる」の風景を撮影して下さいました。朝のミーティング・調理・配達・そして店頭での販売など…
幾枚かの素敵なスナップがやがて一冊の本にとなっていきます。色々な人が色々な形でこの場所に関わり見守ってくれています。私たちに出来ることを私たちが出来る範囲で行っていくことが、そんな人たちへの大きな感謝の気持ちになっていくようです。

昨日は松山に日帰り、全国精神障害者地域生活支援協議会が主催の全国大会が今年の7月に愛媛で行われます。
その実行委員会、四国四県の実行委員も参加し、この集まりを一つの契機として四国でのネットワーク作りを進めていこうというのが、裏側の大きな題目となっています。愛媛センターの徳永さんをはじめ、全国精神障害者地域生活支援協議会事務局の田中さんや岸野さんも東京から参加、忙しい夏に向けての日々がもう始まりつつあります。
2002/03/18(Mon) 晴れ


[ 広報の本づくりに向けて ]
法人化を予定している今の活動を一つの契機として、HEARTLANDが編集企画を行う「本」の製作を検討しています。イラストを描いてもらうきんこさん、A6サイズ程度のメッセージを添えた広報用の本の版下作成に取り掛かり始めました。精神障害者地域共同作業所からのメッセージ、メンバーの声、支援下さっている方々の声を掲載すると共に、幾枚かの写真を挿入していく予定にしています。カメラはスタッフの旦那さんが担当、プロのカメラマンであるその方のご厚意で、来週早々に「あっぷる」での活動風景の撮影となります。社会福祉法人の資産要件としての1000万円、それを集める為…という事ではなくて、自らの活動をオープンにしていくための冊子になればと願っています。

色々と、何となく周囲が動き始めてきました。意図された「今」ではなく自然な流れの中から描いて行ければと思っています。
明日は朝から松山、精神障害者地域生活支援協議会の全国大会が今年の夏松山で予定されています、その為の2回目の実行委員会が愛媛の精神保健福祉センターで開かれます。
日曜日、高速を飛ばせて愛媛に向かおうと思っています。
2002/03/16(Sat) 曇り


[ 研修会に出向いて ]
徳島保健所が主催の「ケアーマネージメント」事業の研修会に出向いてきました。講師は以前精神病院に勤務していた頃、PSW協会でご一緒する機会の多かった帯広ケアーセンターの門屋さんでした。「あっぷる」を臨時休業としてスタッフで出かけてきました。
昨年の徳島でのモデル事業、阿南保健所管内での取組みに約1年近くの時間をスーパーバイザーとして過ごした経過がありました。初めての取組み、初めての事業、よりそのものを柔軟に活用していくためには、それらの事業に携わる「人」が何よりのポイントとなっていきます。
市町村への精神保健業務の移行、まだまだその概念の落とし込みも必要な状況の中、この制度が少しでも何かの「きっかけ」となるように関わっていければと考えています。

「あっぷる」メンバーは少し疲れ気味モードに入りつつあります。全体のトーンダウンと共に「しんどさ」をみんなが口にする事が多くなりつつある様子です。季節の変わり目、新しい春を前にしてなかなか追いつけない「自分自身」を省みている様子です。

2002/03/14(Thr) 曇り


[ 彼の言葉 7年目の春 ]
「7年半のビーナス」

 7年半、8回の冬、7回の春、7回の夏、7回の秋が病院で過ぎた。8回目の春、ようやく実家に帰る事になった。長かった病院生活が終わろうとしていた。私は桜の花を実家い゛見る事ができる事を幸せに感じている。8年前、阿南市の北の脇で朝日を見て、その日に入院して以来、病院に入院している私が私でいられたのは、HEARTLAND「あっぷる」に参加していた事が大きなウエイトを占める。心の病を抱えて希望のない毎日の中で、唯一の灯りを私に与え続けてくれた。阿南市に帰って、ごくごく平凡な毎日を過ごす事になる私の心の中に、病院に入院していた7年半が無駄ではなかったと、HEARTLAND「あっぷる」での記憶が、そう私の心に語りかけてくれるだろう。

    「川」

くやしい夜 自分を許せない夜 それでも川は ゆっくりと流れているだろう
でも夕日に照らされて ゆっくりと輝きながら 一時 一時 流れる川もある
そんな川を見ながら 「新鮮だなぁ」と 思える今がある

 HEARTLANDがまだ今の場所に辿り着く前、市内の小さな会議室。活動の準備を進めるその場の中、自分自身の明日を幾度となくHEARTLANDの未来に重ね合わせていた彼。
自らが獲得した「退院」 ささやかに彼の人生が輝くことをと願ってやみません。
2002/03/13(Wed) 晴れ


[ 7年ぶりの退院 ]
今日の午後一人の「あっぷる」メンバーとそのお母さんの姿がありました。目の前の精神病院に入院する事約7年、主治医との面談の後に退院の日取りが決まった事を伝えに足を運んできてくれました。この場所が未だ見つかる前、市内の小さな会議室でHEARTLANDの夢を互いに温めていた頃からのつき合いでした。「HEARTLANDは僕の希望の光り…」そう話した彼の人生、多感な思春期と彷徨う心、家庭内暴力の行き着く先は精神病院の一室しかありませんでした。地域作業所へのトライと失敗、ようやく手に入れた援護寮の生活も就労との二足のわらじに、破綻を来すまでにはそう時間は要しませんでした。
病状や症状の改善以上に「しんどさ」を携えた家族の思い、病院から「あっぷる」に通う3年近くの時間の果ての今日でした。
昨年の5月から始まった自宅への月に1度の外泊「父さんがだんだんこの子を見て調子が良くなっているのがわかった…」「そろそろ一回退院…」そんな時間を家族は家族として過ごしてきました。
彼が変わりゆく中で家族や周囲も変わりゆきました。退院の日取りが今月の末に決定した彼は穏やかにこう言いました。「色々とあったけどつながりました…」与えられた退院ではなく、彼が自らの力で獲得した退院、長かった彼との日々を想いながら、訳もなく涙がこぼれそうになった午後でした。
「今からがまた始まり…」母さんが微笑みながらそう呟きました。
2002/03/12(Tue) 晴れ


[ 慰労会 ]
全国大会の慰労会が昨夜、その会場となった眉山会館で行われました。それぞれがそれぞれの中から準備を進め、大盛況の中で幕を閉じた全国大会の打ち上げでした。久しぶりの再会も含めての一時、振り返る事と共に何か大きな一つの事を為し遂げたような、そんな満足感がみんなの横顔に溢れていました。

今日のお弁当メニューは定番のコロッケ、手作りがどうかは判りませんが色々なメニューの中でも一番の人気の様子です。「いつもコロッケの時だけでごめんよ、美味しいからレシピ見せて…」
近所の島田郵便局の人からの注文が入ります。11時代には既に完売、昼食のお弁当屋なのに既に完売の札がかかる、変な弁当屋の風景が続いていきます。
2002/03/11(Mon) 晴れ


[ すみれ会作業所へ ]
先月の全国大会を一つの景気として、県内の精神領域の作業所の方々と再度新しい関係が生まれつつあります。徳島市内にある「すみれ会福島作業所」家族の会が中心となって設立した徳島の、四国の草分け的な存在の作業所があります。今よりは未だ何も無かった時代、と言ってもたかだか15年程昔の事、家族の思いが人を動かせ大きな共感の中に立ち上がったその作業所があります。「あっぷる」にお弁当注文を最近頂くようになり、メンバーと共に配達に出向いていきます。それぞれの立ち上がり方は個々であったとしても、見せて頂くことで改めて僕たちも「学ぶ」べき事が多々ある事を確認していきます。
「あわっこ」作業所、精神保健ボランティア講座の受講生が開設した徳島市内の作業所、時は5年程前、未だ僕が精神病院のPSWであった時代。徳島保健所が開いた精神保健ボランティア講座、僕が話す目の前の人達の思いがこれまた一つの作業所を創り上げていきました。
「あわっこ」からもお弁当の注文、「あっぷる」の会議の時のお菓子はその作業所からのケーキやクッキーを頂く形で新しい交流が始まりつつあります。
徳島県の家族会連合会を長年に渡って押し進めてきた、事務局の美馬八重子さん、その年齢に見合わない行動力と大きさが、今回の徳島大会の準備の中、終始色々な配慮や多くの人たちの動員を下さいました。
同じ場所のそれぞれであったとしても、また新しい共通の構築作業を行って行ければ…、そんな事を思える事が全国障害者地域共同作業所研修集会徳島大会を終えた大きな「財産」のように嬉しく思います。
2002/03/09(Sat) 晴れ


[ 「あっぷる」というお弁当屋さん ]
最近、作業所とお弁当屋さんのバランスに悩んでいます。作業内容としてお弁当を販売しているのに何を変な事を…?と思われるかも知れませんが、日々の中で本当にわかりにくくなっていくのです。世間との接点を持つという作業所としての必要性を感じてのお弁当作り。お客様と直接に接する為に店頭販売も始めました。一人でも多くの人にお弁当を買って頂き、お弁当と共に精神障害者への理解をしてほしいという願いを込めて、一生懸命に少しでも美味しいお弁当を作れる様、スタッフ・メンバー共に頑張っています。
 お陰様で店頭に足を運んで下さるお客様も増え、「おいしかったよ」「がんばりよ」の言葉と笑顔を頂いています。その事で、皆は元気になりやりがいや責任感を持ち始めました。そんなメンバーを見て嬉しく思うし、メンバーの日には私たちスタッフ抜きで、お弁当が作れる様になり、本当に良かったとも思います。
 しかし、問題はここからです。お弁当を作ることに一生懸命になり、責任も負えるようになった自信が、一人歩きし始めたよう思うのです。調理の出来る人が、お給料をたくさんもらう為かも知れませんが、不器用だったり、新しく入ってきて、まだ役に立つという所まではいかない人たちの見られ方、受け入れられ方が少し微妙に間違ってきた気がするのです。病名も病状もそれぞれ違うけれど、病を持って生きていかなくてはならないという共通点があっての集まりなのに、障害者同士で受け入れられない。それでは健常者にわかってもらえるはずなどない!お弁当作りを通じて、病気を持ってがんばっていく事、その為に必要な事を学ぶ為の作業所。お弁当屋さんのパートではない事を、改めて認識していきたいと思っています。
 とは言え、時間内に決められた数のお弁当を作れるのは皆の力です。全てを否定はできませんが「私がいないと調理が困るから」ではなく「必要とされる時に責任を果たせる自分自身の為」に頑張って欲しいのです。「お弁当作りの為に」ではなく、「自分自身の為に」通って欲しいと思います。「おいしかった」の言葉よりも「がんばってよ」の言葉と、その言葉に含んで下さるお客様方のあたたかい気持ちを、再度かみしめて、また始めていきたいと思います。                           「あっぷる」スタッフ 大久保千恵

インターネットを通じて色々な「声」が届けられてきます。
岡山からの声に今日返事を書かせてもらいました。色々な人が色々な場所で活動をされている、その事が本当に小さな「勇気」になっていきます。色々あっても新しい春はもうすぐ、そんな小春日和の一日でした。


2002/03/08(Fri) 晴れ


[ ボーリング ]
午後から「あっぷる」のレクリエーションで近くのボーリング場に出かけました。昼食のお蕎麦をみんなで食べてからの楽しい一時でした。みんなが販売したお弁当の収益を使っての「遊び」ただそれだけの事でも時に大きな意味を持つことがあります。自らの事を自らで行っていく…この当たり前の事を行っていくことが、実は一番大変な事である事をこの場所からは思います。

一人の女性メンバーが「あっぷる」を立ち去りました。想いが届かず見送るばかり、そんな今日がまた繰り返されていきます。
こんな一日の終わりは「これで良かったのだろうか…」と考えます。けれど何も見つからないので、また明日に出かけていこうと、ただそんな風にだけ思います。
2002/03/07(Thr) 晴れ


[ きんこさんと ]
イラストレーターのきんこさんの自宅を訪ねた午後でした。法人設立に向けての広報活動とそのプレゼンの為の色々な「絵」の打合せがその要件でした。あつこつと多忙なきんこさん、HEARTLANDのからの依頼を色々と気にかけて下さっていた様子にとても感謝するばかりです。色々なグッズやプレゼン用のパンフ、その一切がっさいを御願いするという事で何度かお逢いしてきた経過がありました。それ程古くからのお付き合いがあった訳でもないのに、色々と言葉を介さなくても話が出来る、きんこさんの人柄の素敵さをいつも思います。
同じような想いと同じ様な呼吸の仕方みたいなもの…、手渡された下書きの絵には、きんこさんの温もりが確かに載せられているようで、何かとても嬉しく思えた時間でした。いよいよ、いよいよとついて動き始めようと…そんな言葉のやりとりでした。

昨日の看護専門学校、保健婦助産婦学科の謝恩会、徳島駅前の阿波観光ホテルにお招きをもらいました。それぞれの場所に戻ってそれぞれの人生を歩み始める彼女たち、お礼の言葉やお礼の唄、涙涙が流れゆくその風景に何か感激して、もらい泣きしそうな感じになりました。
「青い時代」真っ直ぐに立つ彼女たちの姿に何かHEARTLANDの日々を、きちんと考えていきたいと思えた、そんな素敵な時間でした。
2002/03/06(Wed) 晴れ


[ 謝恩会 ]
今日、看護学校の卒業式。気がつくと3月、季節は新しい新年度を前にして別れの季節の様子です。1年の学習の時間、やがてそれぞれの彼女達は助産婦や保健婦となってその最前線に出向いていく事になります。
志として精神領域の保健婦として従事する人も数名、小さな始まりが大きな意味を成していくように陰ながら応援出来ればとふと思います。
「あっぷる」は今日は給料日、明後日のボーリングのレクリエーションに向けての準備も午後から進められていました。給料ミーティングでメンバーが計上した「遊び」のお金、それをただみんなが使うという事だけでも色々な経過がありました。明後日の楽しみを前に頑張ろうとするメンバーの姿は時に健康的に見えます。
2002/03/05(Tue) 雨


[ 7年ぶりの退院に向けて ]
「あっぷる」やHEARTLANDのオリジナルメンバーであった彼の退院が、間もなくの春となってきました。「HEARTLANDは希望の光り…」と未だこの場所さえ無かった時代の準備会議の頃から、この場所に彼は通い続けてきました。社会復帰施設での失敗、就労の挫折、二度と引き受けてくれなかったそれらの事柄を乗り越えての「今」を穏やかに過ごしています。
昨年の春に始まった自宅への月1の外泊、移送の問題や病状が悪化した際の対処の問題など、入院当時の状況が家族に与え続けてきた心配はなかなか消える事がありませんでした。月に一度の外泊での家族の人とのやりとり、淡々と「あっぷる」に通う日々に明日を見続けた彼のこの1年、先日話をした電話越しの母親は「退院」という言葉をしっかりと語っていました。「これは獲得した退院やね…」そう語る僕の言葉に、彼はただ静かに笑いました。

午後からはいつも恒例の給料会議、明日は看護学校の謝恩会、嬉しさの中に春が進みゆきます。

2002/03/04(Mon) 晴れ


[ 若草作業所へ 阿南家族教室 ]
2月の上旬から続いたバタバタまイベント多数もようやく一段落、さすがに身体が求めていたのか昨夜はぐっすりの夜でした。今日は阿南保健所の家族教室、保健婦さんの取り計らいで日曜日の午後、しかも作業所をその場所としての話し合いが行われる事になっています。当たり前ですが働いているご家族の方々も多く、日曜日というセッティングはなかなかベターかなとも思い出かける予定としています。
いつもの事ながら、難しい話ではなくのんびりとお茶でも飲みながらの午後の時間になれれば幸いです。
2002/03/03(Sun) 晴れ


[ 素敵な人と ]
大阪から素敵な人がHEARTLANDに訪れて下さいました。「ルポ精神病棟」を今から30年前に書き記した大熊さんの奥様、大熊由紀子さんと大阪大学の大学院生のお二人。「何処かに旬な人はいないか…」という事で徳島のこの街にあるHEARTLANDに足を運んで下さいました。
朝のミーティングに時に到着、お弁当製造の時間を一緒に過ごし、午後の店頭での販売、メンバーが帰った後も「あっぷる」のスタッフと延々長い笑顔の出会いとなりました。
夜はHEARTLANDに関わりのある人達、精神保健領域の従事者や保健婦、看護学校の先生や太陽と緑の会の杉浦さん、新聞記者の人達を交えての大歓迎会となりました。遠い昔からずっと福祉や老人領域で奔走し続けてきたその姿は何にも増しての存在感がありました。
素敵な人はやはりその笑顔一つも素敵であり、それ以上に「転がり続けている」力みたいなものがその優しさの中に内在されている事がすぐ見て取れる気がしました。同じような場所に立っている私たちを、遠い場所からその大きな人が眺めて下さっている、その事が大きな励みになっていきます。
2002/03/02(Sat) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:heartland 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]